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彼には、何の縁故もないその男が医者としての自分をたよつて来たのが何よりうれしかつた。あの男はおれの一番最初の患者と云つてもいゝ位だ。それがありがたいことにうまく行つたのだ。何しろ、寄生虫にはやく気がついてよかつた。あんな風だと、前に大石医院で診察をうけていたのかもしれない。塔の山と云ふのはたしか下の半里ばかりの所から山に入つたあたりだつた、――さう考へているうちに房一はふと昨夜往診をたのまれたことを思ひ出した。
私にとっては、三十八度から四十度ぐらいが最も快適な入浴であることを確認したが、冬は湯上りの寒さに抗する必要があるので、多少汗ばむのを我慢して、四十一二度の温泉の湯につかる。伊東市でこれ以上チッポケな湯殿はなかろうと思われるぐらい、洗い場もないほどのところだが、私にはこれ以上の広さも必要ではない。ただ釜たきをする人たちが気の毒であった。
両隣りに挨拶するのも、土産ものを贈るのも、ここに長く滞在すると思えばこそで、一泊や二泊で立去ると思えば、たがいに面倒な挨拶もしないわけである。こんな挨拶や交際は、一面からいえば面倒に相違ないが、またその代りに、浴客同士のあいだに一種の親しみを生じて、風呂場で出逢っても、廊下で出逢っても、互いに打解けて挨拶をする。病人などに対しては容体をきく。要するに、一つ宿に滞在する客はみな友達であるという風で、なんとなく安らかな心持で昼夜を送ることが出来る。こうした湯治場気分は今日は求め得られない。
「さうなんですよ。ですが、よく考へたもんだと思ひましたね、足もとから鳥が立つ、といふでせう、――あれとそつくりにね、かうひよいとカワラケがとび出すんですよ」
「玄関の手入れをどうしようかと云ふのですよ」
房一は下駄をつゝかけて外にとび出していた。何気なく腕時計をすかして見た。七時半だつた。まだそんな時間か、とびつくりして考へたのをおぼえている。すぐ傍を、人が駆け抜けていた。房一も走り出した。どういふものか、さつきうす暗がりで見たぼんやりした小さい白い時計の文字盤が頭の中で見えていた。走り出した方は真暗らな畑中の路だつた。今、房一の右にも左にも誰とも判らない人が一杯で、腕や肩がぶつかつた。小谷も練吉もいつしよに駆け出して来た筈だつたが、どこにいるか判らなかつた。
「おれと息子とはちがふ。息子は自分の力でこんな風に立派になつた。おれはうれしくて仕方がないが、まあおれは自分の坐り慣れたところにこのまゝ坐つている方が気楽だ。医者の父親なんてものより、元のまゝの老百姓で結構だ」
「うん、あの程度だと別に影響はないんだらう」
川沿ひに細長く続いている河原町の通りは、地勢のせいでゆるい下り勾配をなしていた。所々で屋並みが切れて、そこには茶畑があつたり、空樽が乾してあつたりするかと思ふと、次の空地にはどこの家で使つているのか判らないやうな大きな井戸がその円く肥つた腹のやうな焼物の縁をたゞあつけらかんと日に照されていたりした。
わたしはこの婆さんにいろいろの話を聞かせて貰いました。就中なかんずく妙に気の毒だったのはいつも蜜柑みかんを食っていなければ手紙一本書けぬと言う蜜柑中毒の客の話です。しかしこれはまたいつか報告する機会を待つことにしましょう。ただ半之丞の夢中になっていたお松の猫殺しの話だけはつけ加えておかなければなりません。お松は何でも「三太さんた」と云う烏猫からすねこを飼っていました。ある日その「三太」が「青ペン」のお上かみの一張羅いっちょうらの上へ粗忽そそうをしたのです。ところが「青ペン」のお上と言うのは元来猫が嫌いだったものですから、苦情を言うの言わないのではありません。しまいには飼い主のお松にさえ、さんざん悪態あくたいをついたそうです。するとお松は何も言わずに「三太」を懐ふところに入れたまま、「か」の字川の「き」の字橋へ行き、青あおと澱よどんだ淵ふちの中へ烏猫を抛ほうりこんでしまいました。それから、――それから先は誇張かも知れません。が、とにかく婆さんの話によれば、発頭人ほっとうにんのお上は勿論「青ペン」中じゅうの女の顔を蚯蚓腫みみずばれだらけにしたと言うことです。
「それあ、あんた」
彼はそれを云ひに来たのだつた。
と、盛子は声をかけて、その方へ向いて近づきながら、だが、そこに房一とは違ふ男の顔がうす暗がりの中で何だかためらひ気味に、中へ入りもしないで口をもごもごさせて突立つているのを見た。が、その顔は急に突拍子もない大きな声を出した。